のれんで表現できること

温故知新でのれん製作に活かす

Noren-Order室町時代は現代とは違いみんなが文字を読める時代ではありませんでした。
そのため、屋号や家紋など文字が読めなくてもわかるものを店の目印としました。

家紋

このように歴史が続いていき、江戸時代には文字を読める割合が高くなってきたので
屋号や家紋以外にも文字を染めるようになりました。

でも、すべて一貫して店の目印や家の目印として使われています。
のれんにもいろいろな種類があり、そのものによって使われ方は様々ですが
居酒屋さんなどに今でも存在する短いのれんは、水引きのれんと言い
店内の様子や商品を見やすくするための効果があり、標準の長さの
半分くらいで作られているものを半のれんと言います。

このように、店のシンボルとして飾るものになってから、店にとってどれだけ必要なものであるかが
とてもわかる言い回しが、のれんに傷がつくとかのれん分けといった言葉があることで良くわかります。

前者は店にとって、信用や格式を表す大切なもののため評判を落とすことのないように努めるためと、
後者はそれだけ大切にしているものを、奉公人や家の者に分け与えて、同じ屋号で
新たに店をだしても良いという許可になります。

同じ屋号で店を出すということは、このことが持つ信用も格式もすべて引き継ぐという意味となり
とても重要な意味を持ちます。

店を引き継ぐ

江戸時代は現代のように世襲制ではなかったため、才能のあるものが継ぐことを許されました。

いくら自分の子供であっても、無能のものに任せて店を傾かせるわけにはいかなかったからです。
それを考えれば昔は今とは違い実力至上主義だったといえます。

才能あるものが損をすることのない世の中はとても魅力的です。
この風習があったからこそ、現代にも息づく物づくりの文化が出来上がったのです。

実力至上主義ではなければ、みんな向上心を持つことはしません。
でも、実力至上主義だったからこそ、自分の力を試す意味としても
熱心にその仕事を覚えようとしていたのだと思います。

この歴史が今の日本を作りだしています。

日々変化していく「日本語」の歴史を振り返る

日本語はいつから使われているかを考えることは日本語の歴史を振り返る上でとても重要なことなので、この点を深く掘り下げることは
とても意味のあることです。

学術的に最も古い文字記録として求められているのは稲荷山古墳出土鉄剣に刻まれている文字ですが、ここには基本的には漢文が
用いられているのですが日本語の固有名詞の一部は当て字にしています。

この当て字のことを万葉仮名と言いますが、なぜこのようなものが作り出されたのかをよく考える必要があります。

その理由として挙げられるのが日本に文字が無かった時代に漢文では表せない日本語の部分は、漢字を当てはめて
書くしかなかったと言うことです。

この点から考えれば万葉仮名が当時の日本語の発音を示している訳で、正に日本語の出発点であると言うことができます。

中国の史書である魏志倭人伝には2世紀頃から倭にあった邪馬台国に中国の使者が訪れた時の話が書かれていますが、
この史書では邪馬台国や周囲の国名、人名や官職名などが書かれています。

この魏志倭人伝には色々な日本語が出て来ますが、これらの言葉は奈良時代以前に使われていた上代日本語と呼ばれるものと
特徴がよく似ていると言われています。

仮にそれが事実であれば既に2世紀ころには上代日本語が使われていることになり、これはとても大きな発見であると言えます。